Anthropicは2026年9月4日、AIアシスタント「Claude」が数学の有名な難問「フェルマーの最終定理」の証明を、証明支援ソフト「Lean(リーン)」で機械が検証できる形に「形式化」したと発表した。SiliconANGLEやAI Weeklyなど複数のメディアも同日以降にこれを報じている。
この記事では、そもそも何が行われたのか、どのくらいの規模だったのか、そして「AIがフェルマーの最終定理を証明した」という誤解を避けるために押さえておきたい点を、専門用語をかみくだいて整理する。数字や経緯はAnthropicの公式研究と、それを報じた複数メディアに基づいており、細部は今後の検証で補足される可能性がある。
| 項目 | 内容(公式発表・報道ベース) |
|---|---|
| 発表元・発表日 | Anthropic/2026年9月4日 |
| やったこと | フェルマーの最終定理の証明を、証明支援ソフトLeanで端から端まで機械チェック可能な形に形式化 |
| 所要期間 | 約11日間。大部分を自律的に作業し、人間の高レベルな指示は最小限だったとされる |
| 使用モデル | Claude Fable 5.1とおおむね同等の、汎用の社内研究用モデル |
| 土台にした証明 | Andrew Wilesの1995年の証明を簡略化した版(Darmon・Diamond・Taylorによる解説) |
| 検証 | Leanが標準の3つの公理のみを用いて検証。追加の仮定なしで通ったと説明されている |
まず言葉の整理から。フェルマーの最終定理(「3以上の自然数nについて、xのn乗+yのn乗=zのn乗を満たす正の整数の組は存在しない」)は、1637年に提起され、1995年にイギリスの数学者アンドリュー・ワイルズが証明した。証明は129ページに及び、専門家が正しさを確認するのに数か月かかったとされる。定理そのものは30年以上前に決着している。
今回Claudeが行ったのは、その「すでにある証明」を、コンピューターが1行ずつ論理の飛躍なくチェックできる形に書き直す作業だ。土台にしたのはWilesの原論文そのものというより、Darmon・Diamond・Taylorの3氏によって整理・解説された版だとされる。この書き直しを「形式化(formalization)」と呼ぶ。使ったLeanは、数学の主張と証明を厳密な記号で書き、機械が矛盾なく成り立っているかを検証する「証明支援ソフト」である。形式化が完了すると、その証明は「人間のレビュー待ち」ではなく「機械が根拠まで遡って検証済み」という状態になる。
Anthropicによれば、Claudeは約11日間、大部分を自律的に作業し、Leanのコードを1300万行書いた。この種のファイルとしては最大級だという。途中でおよそ30,300個の補助定理(大きな証明を組み立てるための小さな主張)を証明し、そのうち約29,500個が最終的な証明に使われた。出力したトークンは合計で約60億、数十体のエージェントが並行して動いたとされる。最後にLeanは、標準の3つの公理だけを使って全体が正しいことを検証した。
今回の作業がどれほど大きかったかは、下の表の数字に表れている。人間の数学者チームが同じことを手作業でやれば、数年規模になると見込まれていた。
| 指標 | 数値 | 補足 |
|---|---|---|
| かかった期間 | 約11日 | 大部分を自律作業。人手の指示は最小限とされる |
| Leanコードの行数 | 約1300万行 | この種のファイルとして最大級。必要以上に長い可能性が高いとの指摘あり |
| 証明した補助定理 | 約30,300個 | うち約29,500個を最終証明で使用 |
| 出力トークン | 約60億 | 数十体のエージェントが並行して生成 |
| 検証に使った公理 | 3個 | Lean標準の公理のみ。追加の仮定なし |
| 元の証明の分量 | 129ページ(Wiles 1995) | 確認に数か月かかったとされる |
注意したいのは、1300万行という数字は「すごさ」であると同時に「粗さ」でもある点だ。数学ライブラリ「Mathlib」の熟練者が書くコードはずっと簡潔で、Anthropic自身も生成物は必要以上に冗長になっている可能性が高いと認めている。また初期のエージェントは、どの補助定理がどこまで終わったかという進捗管理でつまずいたとされ、そこを補ったのが次に述べる仕組みだ。
今回の鍵は、AIモデル単体の賢さよりも、長い証明作業を段取りするためのソフトウェアにあった。Anthropicの研究者Tianyi Peng氏らがコロンビア大学で開発したオープンソースのハーネス「Prove2Me」がそれだ。
Prove2Meは、証明を「有向非巡回グラフ(DAG)」、つまり「この定理を示すにはどの定理が先に必要か」という依存関係の地図として管理する。これにより、複数のエージェントが手分けして別々の枝を埋め、Leanのコンパイル(正しさの確認)を高速化し、すでに証明した定理を自然言語の説明文で検索して再利用できる。長い工程の「次の一手」を決めやすくし、無駄な計算=推論コストを抑える狙いがある。フェルマーの最終定理のような巨大な証明を現実的な時間で組み上げられたのは、この土台があったからだと説明されている。
Leanでフェルマーの最終定理を形式化する取り組みを率いてきたインペリアル・カレッジ・ロンドンのKevin Buzzard氏は、今回の成果物をレビューし「並外れた自動形式化の成果」で「公理以外の仮定なしにフェルマーの最終定理を証明している」と述べた。代数・調和解析・幾何・整数論といった幅広い分野の自動形式化が見られ、その成果物は「この上に積み上げられるほど頑健になった」とも評価している。
一方で冷静な指摘もある。今回のClaudeは、ゼロから定理を発見したわけではなく、理論的な証明支援コミュニティが長年かけて整えてきた土台の上で作業した。あるメディアは「これを全部Claudeの手柄にするのは、アメリカ大陸の発見をGPSの手柄にするようなものだ」と表現している。生成コードの冗長さや、初期の進捗管理の弱さも、実用上の課題として残る。
| 取り組み | 内容 | 担い手・時期 |
|---|---|---|
| Wilesの証明(1995年) | フェルマーの最終定理を数学的に証明。129ページの論文 | アンドリュー・ワイルズ。専門家の確認に数か月 |
| 今回の形式化(2026年) | その証明の簡略版をLeanで機械チェック可能な形に翻訳・検証 | Claude(社内研究用モデル)。約11日・大部分を自律作業 |
| Imperial College「FLTプロジェクト」 | フェルマーの最終定理を1980年代に知られた結果へ帰着させるLean形式化。一部で異なるアプローチ | Kevin Buzzard氏ら。EPSRC助成で2029年9月まで |
今回の成果は「AIが人間より賢く新定理を生んだ」という話ではない。だが「巨大で複雑な既存の証明を、機械が検証できる形にほぼ自動で書き起こせる」ことが実例で示された意味は大きい。数学の証明チェックは、これまで少数の専門家の時間に強く依存してきた。その負担をAIとツールで圧縮できるなら、新しい結果が出たときに正しさを固める速度が上がり、形式化された数学を土台にした次の研究も進めやすくなる。
2026年に入ってからは、OpenAIの「Astra」が複数のエルデシュ問題に新しい証明を与えたと報じられ、Anthropicもリーマンゼータ関数に関する研究成果を公表するなど、AIを数学に使う動きが相次いでいる。今回のフェルマーの最終定理の形式化は、その流れのなかでも「検証」という地味だが重要な作業をAIが担えることを示した一例だといえる。過度な期待は禁物だが、数学の現場でAIが定着していく兆しとして注目される。